喘息と私



あの日はお正月休みだった。
確か、1月3日だった。
当時付き合っていた彼と、1日デートを楽しんで、夜はパスタを食べた。
その帰りに、車の中で、ひどい発作が起きてしまった。

私は喘息と言う病気を持ってる。
喘息ってどんな病気か知らない人も多いかも知れない。
私の場合は、生活できないぐらいひどい時と、割と元気な時の差が結構あったり。
調子が悪い時は、毎晩眠れないぐらいの発作が起きる。
調子がいい時は、何ヶ月も何もない。
薬や吸入は、毎日必要。それも調子によって、量が変わる。
よく精神状態に左右されるとか、疲れるとダメだとか、季節の変わり目はとか、色々言うけれど、
この病気と付き合うことになって、既に15年、まだ自分でコントロールし切れていないのが
私の現状かも知れない。

話は戻り。。。
発作が起きたのでいつものかかり付けの総合病院へすぐ連絡する。
いつも夜中だろうがすぐに吸入と点滴をしてくれる。
自宅のそばだし、送ってもらうついでに、寄って行けばいいと思っていた。
だが、お正月だからか、「今日は内科の先生がいないから、受け入れできませんよ。」と
あっさり断られる。
何年も、そんなことは一度もなかった。
結局、他の病院の連絡先だけを告げられて、看護婦さんはガチャンと電話を切った。
すぐにそちらに連絡するも、今度は夜間診療所みたいなところを教えられる。
そんな間に、さちを乗せた車は、市内を行ったり来たり、気付けば1時間ぐらい走りっぱなし。
どこの病院へ行くのか決まらず、走り回ったまま1時間ぐらい過ぎていた。

息がどんどん苦しくなり、激しく出ていた咳が、
段々と少なくなって、ただただ、気管支の音だけが、
胸まで、ぜーぜーと響くようになって来ていた。
自分でも、これはまずいと、わかっていた。

最後に教えてもらった夜間診療所へ電話は、自分ではもう出来なかった。
話を出来る状態ではなくなっていた。
教えてもらった場所から、その診療所まで20分ぐらいかかった。
どんどん苦しくなる、呼吸。何十キロものマラソンを走っているみたい。
ぐったりと、車のシートにもたれかかって、肩で息をして、
とにかく早く病院へ着くのを待っていた。
もう何もできない。


やっと夜間診療所に着いた。
待合室に溢れる、人、人、人、、、
お正月だからか、すごい人数の人が、調子を崩して来ていた。
彼が受付に行って、私はあいていた長椅子にへたり込むように座る。
看護婦さんが大きな声で、
「喘息の発作の患者さんだから早く!先に入れてあげて!」と言い、
腕を引っ張られて、診察室の中に連れて行かれた。
先生の診察を受け、すぐに吸入を受けることに。
吸入なんかでなんとかなるレベルではない。 と、自分が一番わかっていた。
早く点滴をして下さい! 話せるならそう叫びたいぐらいだった。
でも、この夜間診療所は、緊急事態で無い限り、点滴は出来ないという。
点滴するなら、大きな病院に搬送すると先生は伝えた。

看護婦さんが隣にピッタリ付き添って、吸入。
もう話すことも出来ず、息もまともにできず、吸入器を手でしっかり持って口元に持って行くことさえ
ままならない状態になりつつあった。
いつもは、吸入器から出る蒸気(?)が、気管支まで染み渡るのを少しは感じて
多少呼吸が楽になるのを実感できるのに、この日は全く違った。
口に当てていても、薬は気管支の中へ入ってこない。
ただただ、どんどん苦しくなる呼吸。
喉がどんどんと、細くなっていくよう。
ぜーぜーどころか、このまま呼吸が止まってしまうのではないかと言う位
苦しくて苦しくて。。。
気付いたら、泣いていた。
涙がぽろぽろ溢れていた。

看護婦さんが、「先生、吸入では無理そうです、他の処置をしないとまずいです」
というようなことを大きな声で言った。
横に居てくれた看護婦さんが立ち上がったら、そのままグッタリ倒れこんでしまった。
座っていられない。
息が。。。できない。助けて。

意識が、朦朧として来た。
酸素が、身体に入って来ない。
苦しい、苦しい、ひたすら、苦しい。
涙はどんどん出る、、、あぁ、きっともうダメかも。。。? 
私は、こんなに若くして死んじゃうのかなぁ。。。
こんな苦しくて死ぬのはイヤだなぁ。
そんなことがよぎるぐらい。


先生が飛んできた。
緊急事態だからと、点滴の針を私の腕に刺した。
体内酸素濃度を測った。
先生が、「こりゃまずいな」とつぶやいた。
そして、数分しないうちに、先生が呼んだ救急車がやって来た、
朦朧とした意識の中、先生に抱き上げられ、ストレッチャーに乗せられたのはうっすら覚えてる。
救急車に乗ってからは、ほとんど記憶がない。
人は、死ぬ間際に、過去の記憶が走馬灯のように。。。なんてよく言うけど、
それは本当かも知れない。
ビデオの早送りのような画面が、頭の中でぐるぐる再生していた。
幼稚園・小学校・高校・そして最近の出来事。
あぁ、もうダメなんだなー、これは、、、と
意識が無いながらも半ば諦めの気持ちも出てきた。
こんなに人は簡単に死んじゃうんだ、絶対負けないと思ってた喘息に負けるんだ、と。

救急隊員の方が、色々話しかけていたらしいが、全く返答はしていなかったらしい。
ただ、涙はずっと流れ続け、あとで気付いた時に耳のあたりや髪の毛は、涙で濡れていた。
救急車に付き添いは誰も乗っていなかった。


市内の端っこの呼吸器専門の科がある総合病院に搬送された。
私は相変わらず、意識混濁。
ほとんど記憶はない。
気付いたら、太ももの動脈から血液を採ったと言う傷が、結構痛かった。
動脈からが、体内の酸素の量を確実に測る方法。
チアノーゼを起こしていたらしく、即その検査をして酸素量を測ったらしい(あとから聞いた)


当然、そのまま入院になった。
病室はナースセンターの横、緊急患者ばかりの部屋。
ベッドで横になり、 点滴をうち、随分時間が経ったら、呼吸は少しは楽になって行った。
涙も、、、止まった。
もう、大丈夫なんだ、、、ホッとしたかもしれない。

はっと気付くと、憔悴しきった母の顔がこっちを見ていた。
私の口には酸素マスクがあてがわれていた。
疲れ切った母を見たら、安堵感で、またとめどなく涙が溢れてしまった。
やはり、怖かったのだ。
何度も発作は経験しているけれど
あんなに、死を意識したのは、生まれて始めてだったのだから。



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